旧約聖書「エステル記」のどんでん返し物語は、イエスの復活物語を彷彿とさせます。エステル記の史実を祝うプリム祭りの季節、どんな点でエステル物語とイエス物語が似ているのか、書きました。prim




1. 勇敢な王妃エステルの物語




20世紀のヒトラーによるユダヤ人迫害のはるか昔に、ユダヤ人を撲滅しようとしていた権力者がいました。その男の名前は、ハマン。紀元前5世紀にペルシャ帝国の王に仕えた高官です。

ハマンは、ペルシャにいる全ユダヤ人の抹殺を計画します。そして、ユダヤ人根絶やしの勅令を発布しました。同時に、ユダヤ人のリーダーであるモルデカイも、策略によって無実の罪で処刑されようとしていました。

ハマンの憎しみの原因は、直接的にはモルデカイが自分にひれ伏そうとしない点にありましたが、背後に「アマレク対ユダヤ人」というユダヤ人がエジプトを脱出した直後からの因縁があります。

民族絶滅という瀬戸際まで立たされたモルデカイは、宮中にいる自分の養女エステルに伝言し、ペルシャ王にユダヤ人救出を請い願うように伝えました。

最初、王妃エステルは、ためらっていました。なぜなら、王に召されていない者が王に謁見しに行くと、死罪だったからです。例外的に、王が「金の笏」を差し伸ばせば、死罪を免れることはできました。ただ、この30日間、エステルは王に呼ばれていませんでした。

ためらうエステルに対して、モルデカイは「ユダヤ同胞を離れて宮中にいるから助かるだろうと考えるな」と叱咤(しった)激励した上で、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」と王様に請願するよう畳み掛けます。

エステルは、意を決するとモルデカイに返事を送って言いました。「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」

三日三晩の断食を終えたエステルは、決死の覚悟で王宮の内庭に立ちました。幸い、王からは金の笏が差し伸べられ、優しい言葉をかけられます。そこで、エステルは、王とハマンを酒宴の席に招き、自分がユダヤ人であることをカミング・アウトした上で、ハマンの悪事を暴きます。

このように、王妃エステルは、身をていして王に直訴し、ユダヤ民族を滅亡の危機から救ったわけです。

2. とにかく明るいプリム


このエステルがユダヤ人を救ったことを祝う祭りが「プリム」です。プリムは毎年、ユダヤ暦のアダル月14、15日に行われます。これは、太陽暦の2月か3月に当たるのが通常です(今年2016年は、3月23、24日がそれです)。

現代にまで続く祭りプリムは、劇あり歌あり、とにかく賑やかなお祭りです。「ユダヤ教版ハロウィン」とも呼ばれ、老いも若きも仮装をして街に繰り出し、パーティーを開いたりします。

プリムの日の夜と翌朝、ユダヤ教の会堂では、エステル記の巻物が朗読されます。モルデカイの名前が読まれるときは、喜びの口笛を吹き、歓声を上げます。一方、ハマンの名前が読まれるたびに、集まった人々がブーイングし、ガラガラと大きい音の出るおもちゃを鳴らし、ハマンの名前をかき消します。

このように、民族の歴史の伝達は、ユダヤ人にとって宗教的要素の主要な部分です。ユダヤ民族は、プリムの祭りを楽しみながら、過去の民族体験を風化させない仕組みを作っています。

ユダヤ人の友人と話していると、2千年、3千年前の民族の歴史を、はるか遠い昔のことでなく、今の自分たちとつながっていることとして捉えているのを強く感じます。民族のピンチを乗り越え、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わったことを記念する祝宴と喜びの日プリムを、今もユダヤ人は大切にしています。

古代から現代に至るまで、民族絶滅のピンチを何度もかいくぐってきているユダヤ民族にとって、わが身の危険は常に隣り合わせです。ゆえに、エステル記はリアリティーのある物語であり、同時に自分たちを励ます希望の書なのでしょう。

3. 墓穴を掘るハマン


さて、エステル記のストーリーでは、「神」という言葉が一回も出てきませんが、聖書全体に表れる神の計画が、凝縮されています。それは「策士、策におぼれる」という点に表れています。

<ハマンv.s.モルデカイ>
ハマンは、モルデカイを殺すため、20メートル以上の高さの柱を立てさせ、全ユダヤ人を滅ぼそうとしました。しかし、エステルの勇気によってハマンの悪事は露呈され、ハマンがモルデカイを処刑するために準備した柱にハマン自らかけられ、殺されました。

一方、モルデカイには、ハマンが受けようとしていた国内最高の栄誉が与えられ、ハマンに代わってペルシャ帝国ナンバー2の高い地位に就きました。モルデカイが王の権威を行使し、ユダヤ人に自衛する権限を与えたので、ユダヤ人は滅びの危機から救われました。

王とエステルに宴会に招かれるという国内最大の特権に預かり、自分が栄誉を頂けると勘違いしていたハマンにとって、人生絶頂のその日が、人生最悪の日に変わりました。逆に、モルデカイとユダヤ人にとって、自分たちが絶体絶命のピンチだったその日が、逆転大ドンデン返しの日になり、宿敵アマレクがペルシャ帝国内から一掃されました。

<サタンv.s.イエス・キリスト>
新約聖書によれば、サタンは、救い主であるイエス・キリストを謀略によって陥れ、全人類を滅ぼそうとしました。しかし、キリストをつけようと企てた十字架にサタン自身がつけられて、滅ぼされることになりました。

一方、キリストは高く上げられ、全ての名にまさる栄光が与えられ、神の奥義(ミステリー)によって、全人類の救いの計画が成就されました。

サタンは、キリストを陥れる策を練って十字架でキリストを処刑したのに、その十字架が逆にサタンを打ち砕く力となりました。サタンにとってキリストに勝ったと絶頂になったその瞬間が、己の滅亡を決定づけるときとなりました。

逆に、キリストにとって、みじめな敗北、失敗と思われる十字架こそが、救いの計画を達成する決定的な時となったのです。このように、モルデカイとハマンの関係は、キリストとサタンの関係を彷彿とさせます。

ユダヤ人が春を迎えつつプリムを祝うこの季節は、イエス・キリストの復活を祝う季節と重なっています。サタンの策略を逆手にとって復活し、罪を打ち破った主イエス・キリストを、私たちも盛大に祝おうではありませんか。


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プロフィール

関 智征