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1. ラタトゥイユが引き出した記憶


舞台はフランスのパリ。主人公はフランス料理をこよなく愛するねずみレミー。このレミーの宝物は、天才シェフ・グストーのレシピ本でした。

「よい料理とは、舌で味わう音楽、鼻で楽しむ色彩。それは日常にあふれている。まわりを見渡せば、誰にでも満喫できる」というグストーのことばが、レミーは大好きでした。

映画の一番のハイライトは、料理批評家イーゴが、主人公レミーのレストランを訪れるシーンです。

「シェフが私に食べさせたい料理を出して」というイーゴのリクエストに対して、レミーが作ったのは「ラタトゥイユ」。南フランスの野菜煮込み料理です。

「何!この私に、ありふれた家庭料理、ラタトゥイユ?」しかし、一口食べたイーゴの脳裏には、自身の幼い時の記憶が蘇えります。イーゴが泣いて家に帰った時に母親がラタトゥイユを作ってくれた記憶です。

その時の部屋の風景、外の鳥のさえずり、香り、そして自分の顔をなでてくれた母親の手の触覚・・・。イーゴの中のいろいろな記憶が、レミーの料理によって引き出されました。

豪華な料理を口にしてきたイーゴは、プライドが高くなっていました。でも、ラタトゥイユによって、心が溶かされていったのです。

2. 琴線に触れる言葉


私たちが魂のこもった作品に接する時、不思議な感動を覚えることがあります。

絵画をみて、自分の過去の記憶が思い出される。教会堂の中に入ると、目に見えない存在を感じる。朗読を聞いていると、物語の風景がありありと浮かんでくる。

音楽や朗読、建築といった「言葉」が媒介となって、私たちの中に眠っている何かが引き出されます。料理家レミーにとっては、料理こそが「言葉」でした。

3. いのちのパンを食べる


世界中の様々な宗教において「食事」が重視されていますが、キリスト教にとっても、食は大きな役割を果たしてきました。

イエス・キリストは、社会的に阻害された人とご飯を一緒に食べました。「食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ」と悪口言われるほどでした。

イエスは、まず人々の空腹を満たしました。その後、真理を説きました。船が沈むほどの大漁の奇跡。

5つのパンと2匹の魚で五千人を食わせた奇跡。イエスは、人々の食を満たすことに心を砕いていたことがわかります。

また、弟子たちとの最後の集いも、ワインやパン、羊肉などの「晩餐」でした。イエスの言動は、食事とは切り離せません。

きっとイエスは「ご飯、食べた?」といろんな人に聞いていたような気がします。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイによる福音書4・4)

私たちは、物理的な食事だけでなく、目にみえない「言葉」を食べて生きています。

そして、肉体の飢えが食事で満たされるように、霊魂の飢え乾きは言葉によって満たされます。

『レミーのおいしいレストラン』のイーゴは、自分の中に眠っていた「宝」が引き出される、という単に空腹を満たす以上の体験をしました。

同じように私たちは、イエス・キリストによって、自分の心の奥深くに「新しいいのち」が吹き込まれる体験をします。

キリストは、私たちに活力をもたらす日々の糧なのです。

わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。ヨハネによる福井書6:35


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プロフィール

関 智征