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1. セミの幼虫強制脱皮未遂事件


私が小学生の時、家の近くの公園で、セミの幼虫を見つけました。好奇心旺盛だった私は、セミを強制的に脱皮させようと殻を破ってみました。

しかし、殻の中の幼虫はまだ十分に成長していなかったので、飛ぶことなく死んでしまいました。

セミの幼虫は、殻の中でゆっくり成長します。 脱皮するまでのあいだ、大人になろうとして、長い時間をかけ殻の中でもがいているそうです。

殻の中の幼虫は、もがく動作をとおして、たくましくなり、大人になる準備をします。

小学生の私は「セミが大きくなるのが遅い!セミの脱皮を早くみたい」と思って殻をやぶりました。

しかし、その脱皮の「助け」が、かえってセミの成長の機会を奪ってしまい、幼虫を殺してしまいました。

ちょうど過保護な親が、子供の代わりに何でもやってあげて子供が成長する機会を奪うのと同じことを、私はセミにしてしまったのです。

2.神様は、あえて静かに私たちの成長を見守る


私たちの人生には、誰でも試練や逆境があります。苦しいこと、不条理なこと、痛いことは、できれば避けたいと思うのが人情です。

しかし、聖書では「さまざまな試練をこの上ない喜びと思いなさい」とあります。なぜなら、信仰が試されると、忍耐が生じるからです。

苦難や試練、逆風の中でこそ、私たちは忍耐力が養われます。そして「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」のです。

3.神に問うのではない、神に問われている


何年も前のことです。私は試練の中にいました。

ある知人の気分次第で深夜まで振り回されたり、無神経なことばをぶつけられたり、はしごを外されるような状況でした。

「なぜ、私だけこんな目にあうのか」神に問いました。しかし、状況は良くなるどころか、悪くなる一方です。

そんな中、「どんな不条理なことや侮辱にも、キレないで耐えられたかをお前は問われているのでは」と先輩に言われました。

「お前が、人生に問うのではない。人生がお前に問うている」そのことばに、ハッとしました。

今思えば、困難の中でもがくことで、 私が、たくましく成長する。それを信じて、神様は、あえて私の問いに応えずに 「試練」という殻の中で、私を鍛えてくれていたのです。

セミが幼虫から成虫に成長するように、私たちは日々成長していく途上にあります。

そして、私たちの人生のゴールは、人格の完成すなわち「キリストのようになること」です。私たちが、キリストの似姿に脱皮するため、今も私たちは神に試されているのです。

小学生の私は、セミの幼虫の殻を破ってしまって、セミの成長の機会を奪っていました。

同じように、もし神様が私の問いに答えすぐに試練から解放してくださっていたら、私の成長の機会は奪われていたのではないでしょうか。

英語で、試練を「テスト」と言います。試練をとおして、私たちは神様に問われています。

そして、忍耐をもって神から与えられたテストをクリアした先には、神を愛する者に約束された「いのちの冠」が待っているのです。



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プロフィール

関 智征