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大阪の中心街で、乗用車が歩道に突っ込んで通行人が何人も犠牲になり、まだ働き盛りの運転者も死亡する何とも痛ましい事故が起きました。

ほどなく、原因は単なる不注意や操作ミスではなく、運転者が致命的急病を発病したためであることが判明しました。

病名は「急性大動脈解離」。

その名の通り、突然発病する心臓血管外科領域の病気で、危険な割に世間の認知度は低かったのですが、この事故で広く知られるようになりました。

この方のように急死することも稀でないので正確な発生頻度は不明ですが、人口10万人あたり年間3人という報告があり、

A型とB型があってB型の多くは経過観察となりますが、A型は手術しないと2日以内に50%が、2週間で75%が死亡するため、緊急手術が行われます。

ただ、この病気は患者さんの状態をはじめ困難な問題が色々あって、手術をすれば大丈夫なわけではありません。

数年前まで日本全国の手術死亡率が25%内外だったのが、近年は10%台にまで低下して来ていますが、これでも諸外国に比べると驚くほどの好成績です。

つまり大動脈解離の手術はうまく行って当然の手術ではなく、手術まで辿り着けなかった方も含めて急死することがしばしばあるし、術後に意識が回復しないまま亡くなることも珍しくないのです。

日本にはぽっくり願望とか、近年だと「ピン・ピン・コロリ」なんて標語もありますが、これらの方はさしずめその成就です。

確かに、身辺のことも出来なくなって周囲に迷惑をかけるのが望ましいわけではなく、御本人がその亡くなり方を選んだのでもありませんが、御家族や周囲の方にとってはどうでしょうか?

言うまでもなく、預金口座や相続なんて二の次で、昨日まで、場合によっては直前まで元気でいた人が、今は物言わぬ人になっているのを見て、多くの方は激しく動揺します。

現実の医療現場ではドラマのような光景は意外に少ないのですが、この病気を巡っては「私たちはこれからどうしたらいいの?」と、遺体にすがって号泣する方を何人も見ました。

取り乱さないまでも、「だけど、本人が長く苦しまなくて良かった」と、自らに言い聞かせるように何度も繰り返す方がかなり多く、急死例では御本人はお望み通りかもしれませんが、周囲の方はより深く傷つきがちです。

こんな日が来るならああしてあげれば良かった、あんな言葉をかければ良かった、と悔恨が次々と湧き上がり、悲しみを引きずってしまうのも想像に難くありません。

まして発見時には既に亡くなっていた、なんて方の御家族の衝撃はいかばかりでしょう。ピン・ピン・コロリ支持者の多くは、そういうことを十分に認識しているでしょうか。

私は、選びようもない「死に方」にそもそも良いも悪いもなく、もし良い悪いがあるとしたら「生き方」だと思います。

「最後だとわかっていたなら」の詩は日本でも広く読まれ、感動と共感の渦が巻き起こりましたが、それは私たちが家族や周囲の人々の大切さを実は知っていること、しかし私たちの多くが、平素、愛にあふれた行動や言葉がけを十分には出来ていないことの裏返しなのかもしれません。

その詩はこう結ばれています。
だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」 を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうから

私たちは今日を後悔しない生き方が出来ているでしょうか?

あまりに粗暴なために誰も一緒にいることが出来ず、墓場に住みついていた人が、イエス・キリストに瞬時に癒されて正気に返った出来事が新約聖書に記されています。

癒された当人はキリストのお供をしたいと願い出たが許されず、逆にこう言われたそうです。

「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」
マルコの福音書 5:19


彼はあらゆる人から避けられるほどの、論外と言っても過言ではない状態でした。

ある牧師先生が、彼の家族は祈っても祈っても悪くなる一方の現実に落胆し、神の素晴らしさどころか、神の存在自体を信じられなくなっていたかもしれないが、辛く空しい日々の答えが与えられて、喜びながら神に立ち返ったであろう、と仰っていましたが、実に慧眼だと感じます。

お供を許さなかったということは、要するにキリストは、今後は自分の家族を大切にすることを極めて重視しなさい、

素晴らしい知識や体験を自分だけに留めないで家族に伝えなさい、彼らに希望と喜びを与えなさい、と諭されたわけですが、

これは2000年前の彼だけに与えられた勧告でしょうか?

むしろ、家族関係の希薄化が著しいこの時代を生きる私たちこそ、心がけるべきことではないでしょうか?

そんなこといつでも出来る、と思われるかもしれません。

でも私たちは急死してしまうかもしれないのです。急死は悪いと言っているのではありません。

ただ、家族に感謝や愛をはっきり伝えずにいたら、希望や喜びを与えることを先延ばしにしていたら、重要だと思うことを話さずにいたら、その時どれほど後悔することでしょう。

言わなくても伝わっているとは限らないし、伝わっていても言葉にしてくれた方が、普通は嬉しいもの。キリストの勧告を実行するのは「今」なのです。

家族や周囲の人々への愛と感謝を今日伝え、明日からも折に触れて伝えましょう。

どうしても出来ない方は、せめてピン・ピン・コロリなんて言ってないで、然るべきタイミングで適切な機会が与えられるよう願いましょう。

さらに、キリストが知らせるよう指示なさったのは小じんまりした情的なことではなくて、スケールの大きな真理「神について」でした。

だから私たちは自分の思いだけでなく神様をお伝えしたいのです。

不測の事態にも今日を後悔しない生き方を志し、現在は勿論のこと世を去った後まで、家族や周囲の方々に肯定的に貢献できたら素敵ですね。

今中 和人
埼玉医科大学 総合医療センター 心臓血管外科


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